ヴィアンデン城

ルクセンブルクの滞在時間に余裕がなく、ひとつだけ見るお城を選ばなければならないとしたら迷わずここ。ロマネスク・ゴシック様式の中世の城として、欧州随一の歴史と美しさを誇るヴィアンデン城。内装は当時のままとはいきませんが、崖のうえにそびえ立つその偉容はまさにわたくしたち日本人が思い描く「中世ヨーロッパのお城」そのもの。絵みたいに可愛らしい麓のヴィアンデンの村から坂道を登って城の立地の厳しさを体感するもよし。近くの山の頂までチェアーリフトで登り、そこから城を見下ろしてもよし。城は一時廃墟化していたものの、近年修復を重ね、内部の展示も中世の様子を再現していたりとなかなか充実しています。年間を通し、コンサートやフェスティバルなどのイベントも行われているので、公式サイト(英語)のカレンダーを一度チェックしてみて。

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当時のコスチュームで楽器の演奏や武具のデモンストレーションなどが行われる中世フェスティバル、当時の料理や道具・服を売るストールも。2019年は7月27日〜8月4日開催予定

ローマ時代やカロリング朝の頃から城塞が築かれていたこの地に、本格的なロマネスク・ゴシック様式の城が築かれたのは11世紀から14世紀にかけて。当時の城主はヨーロッパ各地の王家や宮廷と深い繋がりを持っていた有力貴族ヴィアンデン伯。特に太陽伯と呼ばれた13世紀のヘンリー1世の夫人マルガレーテは、東ローマ帝国皇帝の娘でありハンガリーやフランスの王家とも親戚だったというから超名門です。けれどもこの名門が没落すると、15世紀初頭に城の所有権はナッサウ家に移り、1530年に正式にオラニエ公領の城となります。オラニエ・ナッサウ家はこの城をほとんど増築しなかったため、ヴィアンデン伯の所有していた時代とあまり変わらない城の姿を今日でも見ることが出来ます。

付近がひと目で見渡せる城の展望台、そして大広間の窓。

19世紀になるとヴィアンデン城の内装品は売り飛ばされ、使われなくなって廃墟化します。現在の姿は、1977年に国有化されて修復を重ねたものです。城内では修復時の写真や、廃墟だった頃のスケッチなども
展示されています。

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麓のヴィアンデンの村もとっても可愛い。川沿いを散歩するのがオススメです。
自分は城から川に降りていく道の途中にあるAuberge Aal Veinenでお昼を食べたのですが、グリルが美味しい!そして量が多い!肉をがっつり食べたい方にはぜひここのポークチョップグリルを試してみて欲しいですが(TripAdviserの評価)、川沿いにも素敵なお店がたくさんあります。
フランスの文豪『レ・ミゼラブル』のヴィクトル・ユーゴーが亡命中にヴィアンデンを訪れ、街の美しさをたたえたことで観光名所になった逸話はあまりにも有名。ロダン作の文豪の像がある橋のたもとには彼が滞在した家が保存され、ヴィクトル・ユーゴー記念館となっています。



ヴィクトル・ユーゴー記念館の真ん前に伸びているヴィクトル・ユーゴー通りを川ぞいに歩くと見えてくるのがチェアーリフト乗り場。なんとラクラクとヴィアンデン城を見下ろす丘のてっぺんに登れるのです。登っていく途中に見える川と街の風景が壮観!
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終点直前で何か光るものが、と思ったらジェットコースターで良くある写真プリントサービスが。
そしてその受付にさりげなーく飾られていた写真。あらこの方もお乗りになったのね…?

営業時期: イースターから10月までのみ
営業時間: 10時から17時 (夏季繁忙期18時まで)
*上記期間中でも天候によって営業していないこともあるようです。

料金
大人:往復 5.5€ / 片道 4.2€
子供:往復 3€ / 片道 2.5€
(2019年現在)

最新情報はこちらのヴィアンデン観光局サイトでご確認ください。


行き方

ルクセンブルク中央駅からLine 10の電車(30分前後)→ エテルブルック駅下車、570番 Stolzembourg, Akescht行のバス(25分)→ Vianden, Bréck下車、徒歩 14分
*曜日にもよりますが、ルクセンブルク中央駅からエテルブルックまでの電車は1時間に4本程度、エテルブルックからヴィアンデンまでのバスは1時間に1〜2本出ています。


営業時間

10:00 – 18:00(4月〜9月)
10:00 – 16:00(11月〜2月)
10:00 – 17:00(3月、10月)
*1月1日、12月25日は休館

入場料
大人 7ユーロ
子供 2ユーロ(6〜12歳、5歳以下無料)
割引 4.5ユーロ(25歳までの学生)/ 5ユーロ(65歳以上)要身分証明書

ただし中世フェスティバル期間は
大人 8.5ユーロ
子供 2ユーロ(6〜12歳、5歳以下無料)
割引 7ユーロ(25歳までの学生 / 65歳以上)要身分証明書

(情報は2019年7月時点のものです)


さてここでちょっと脱線。ナッサウ家といえば現在まで続くオランダ王家、オラニエ=ナッサウの家系。1815年に立憲君主制のオランダ王国が成立した時に初代国王となったオラニエ=ナッサウ家のウィレム1世は、ナッサウの所領をプロイセンに差し出す代わりに、ルクセンブルク大公領を譲り受け、オランダ国王とルクセンブルク大公を兼任します(ちなみにこのウィレム1世がヴィアンデン城の中身を売り飛ばし廃墟化した張本人です)。
ところが今のルクセンブルク大公一家は、初代ナッサウ伯(12世紀)の孫の代で家系が別れたナッサウ=ヴァイルブルクという、オランダ王家のオラニエ=ナッサウとは別の系統のナッサウ家なのです。

1890年にオランダ王位を継承したのが女性のウィルヘルミナだったため、当時女性の継承権がなかったルクセンブルクでは、今までどおりオランダの君主を大公にいただくことは出来なくなりました。そしてちょうどヴァイルブルク家のアドルフが墺普戦争で敗れナッサウ公を廃位されていたのを幸い、彼を大公として迎え入れます。アドルフはウィルヘルミナ女王と父方、母方どちらを通じても親戚関係にあり、血筋も申し分なかったとはいえ、ナッサウ公を廃位された代わりにルクセンブルク大公の身分が転がり込むとは人生何が起こるかわかりませんね。これを境にそれまで兼任されていたオランダ王とルクセンブルク大公は別の家系となります。

さらに脱線しますが、その後アドルフの孫の世代では男子が生まれなかったため、ルクセンブルクでは女性の大公継承が認められ、女性のシャーロット大公が誕生します(正確にはシャーロットの姉のマリー=アデライドがルクセンブルク初の女性大公)。第二次世界大戦中には、ウィルヘルミナ女王とシャーロット大公はどちらもナチス占領下の祖国から亡命し、祖国のレジスタンスを亡命先の英国から支援することになるのですが、ルクセンブルク大公にはなれなかったオランダ女王と、そのおかげで大公になってしまったシャーロットと、ふたりの女性が何十年後かによく似た境遇に陥ったのも考えてみれば不思議な運命です。

ヴィアンデン城にはルクセンブルクにゆかりの深いこのナッサウのふたつの家系図が展示してあります。自分の親戚も覚えられないのに、複雑に絡み合うヨーロッパの君主の家系図はさらに理解しにくいのですが、家系図にして見てみると……やっぱり複雑怪奇です。欧州史難しい。


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