自然の美しいルクセンブルクでも、谷間の静けさと森の深さが人気を集めるエッシュ=シュル=シュール。蛇行したその河岸頂上に姿を見せるのが歴史を思わせるエッシュ=シュル=シュール城の廃墟。
ルクセンブルク国内の城は、なんども持ち主が変わったり売り飛ばされたり抵当に入れられたりと、散々な目にあって廃墟化してしまったものが多いのですが、エッシュ=シュル=シュール城はむしろその荒城の趣が魅力、岩山のうえの小さな廃墟は妖精の住処かと錯覚する可愛さ。
集落の入り口にある駐車場から見上げた城の全景、左手の丘に丸い望楼が見え、村の中央に立つのが城の塔と城壁の跡、その右にあるのがお城の礼拝堂です。礼拝堂のすぐ隣、ちょっと下にある白い建物が村の教会。
さっそくお城に登ってみたくなりますが、城の塔と村は左の丘の上に立つ望楼から見下ろす景色も素晴らしいので、余力があったらお城とこの望楼、両方登るのがおすすめ(望楼から城に行くにはいったん下の道に降りてまた登ります)。

望楼のそばにはエッシュ=シュル=シュールの守護聖母マリア像が建っています。この像はルルドの聖母像を真似て作られたもので、言い伝えによると、難病に苦しんでいたエッシュ=シュル=シュールの女性がルルドに巡礼して快癒したことを聖母に感謝し、村人たちの協力を得て建立したとか。100年ほど前に建てられた像は、第二次世界大戦で破壊されてしまったのですが、2009年に復元されて現在に至ります。
エッシュ=シュル=シュールが文献に現れる最古の記録は774年。エヒタナハの修道院に寄付されたことが記されているそう。927年にスタヴロの修道院からこの城を譲渡されたMeginaudという人物が8メーター四方の居住用の塔と農園を建設。11世紀後半には第一次十字軍に参加したアンリI世とゴドフリーI世の兄弟が城の主人でしたがエルサレムに行ってしまって領地を顧ることはあまりなかったのだそう。
13世紀の最後の二代の時代がエッシュ伯の最盛期で、ディーキルシュまで伸びた領地内に19の集落を持っていたとルクセンブルク市観光局公式サイト(英語)に解説してあります。
またエッシュ=シュル=シュールの公式サイト(仏語)には当時の様子を再現した簡単なデッサンがあるのですが、11世紀は素朴な農家みたいだった城が、13世紀には荘厳で立派な感じに発展しているのがわかるので、こちらも興味があったら見てみてください。
火薬が欧州の戦争を変えた中世後期には、防衛のためエッシュの町全体が城壁で囲まれるようになりますが、17世紀にルイ14世が侵攻して来ると、これら壁や城塞は取り壊されてしまいます。町屋に繋がっていたため残った防壁の一部は今でも市庁舎の隣に見ることが出来ます。
19世紀には城は一般市民の手にわたり、文豪ヴィクトル・ユーゴーがエッシュを訪れた時にはまだ城跡の敷地に数世帯が住んでいたそう。その後1906年に礼拝堂が復元されますが、ロマネスク期に建築が始まりゴシック期に最盛期を迎えた城の全体像は、今日ではもう想像することしか出来ません。つわものどもが夢ですね。

実はエッシュ=シュル=シュールは城だけじゃなく渓谷も有名、むしろ地元ルクセンブルク人たちにはアウトドアの地と認識されてます。シュール川沿いに湖があり、夏ともなれば川岸のキャンピングサイトは水遊びの人々で賑わいます。アルデンヌの森を楽しめる手軽なウォーキングコースも完備。ふたつコースがあって、おすすめは4キロ程度のこちらのコース。道に迷うことはないと思いますが、心配な方はこのサイトでウオーキング用のアプリをダウンロードするか、GPSをオンに。コースの案内板は駐車場にもあります。
川から丘を登って森を歩き、集落を抜けるコースは見晴らしがよく変化に富んでいます。
行き方
ルクセンブルク中央駅からLine 10の電車(30分前後)→ エテルブルック駅下車、535番 Insenborn, Duerf行のバス(30分)→ Esch-sur-Sûre, An de Gäer下車
*曜日にもよりますが、中央駅からエテルブルックまでの電車は1時間に4本程度、エテルブルックからエッシュ=シュル=シュールまでのバスは1時間に1本程度(ただし日曜日は本数が少なくなります)出ています。
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