エヒタナハの踊りの行進

整然と並んだ人たちがぴょんこぴょんこと飛び跳ね町中を行進する、そんな楽しいお祭りがルクセンブルクにあるのです、ユネスコ世界文化遺産に登録されているエヒタナハの踊りの行進です

ドイツと国境を接するエヒタナハ(またはエヒテルナッハ)はルクセンブルクでもいちばん古く、ローマ時代からの遺跡も残る小さな町。ルクセンブルクの小スイスと言われるミュラータールの森を抜け、シュール川の流れる低地に丘陵地帯を降りていくとルクセンブルクの家族向け行楽地の一つエヒタナハ湖に至ります。伝道修道士であった聖ウィリブロルドがシュール川のほとりに698年に建立した修道院を中心として発展したのがエヒタナハ。聖ウィリブロルドは739年に亡くなりこの地に葬られますが、毎年ペンテコステ(イースターの7週間後の日曜日)の次の火曜日Whit Tuesday(2022年は6月7日)に聖人の聖遺骸へ巡礼する踊りの行進は12世紀の文献にはもう記録されているとのこと。

踊りというにはあまりにもシンプル

上の動画のとおり、ハンカチの両端を持って横一列につながった5〜6人が等間隔で並んで跳ねながら進んでいきます。昔は3歩進んで2歩下がるというステップだったらしいですが、そんな人生みたいな進み方ではあまりにも時間がかかるためこの形になったようです。朝8時半から8千人の踊り手が45のグループに分かれて次々修道院の中庭から出発し、数時間かけて町中を行進していきます。踊り手の列の合間には楽隊が配備され、この明るく単純な民謡をずーっと、ずーーーーっと演奏して歩いていきます。

楽隊の皆さん

踊りの行進の起源

この踊りの行進、実はキリスト教以前の土着信仰に起源を持つようです。言われてみればこのトランス状態に陥りそうなシンプルな動きの繰り返し、教会堂で厳かに行われるキリスト教の儀式とはなにか違いますよね。むしろ原始宗教のカルトっぽさがある…ブーシブレネンやリートメスダーハ(詳しくはこちらの記事参照)といい、ルクセンブルクのお祭りにはそんなキリスト教以前の古い風習の残滓が感じられるのが面白いです。しかし当然ローマ教会においては異端とみなされ、長い歴史の中で何度かローマ教皇からは禁止令が出されたとか。それでもルクセンブルクや周辺諸国の人々はエヒタナハへの巡礼を止めることなく、行進によって聖ウィリブロルドへの崇拝を示すことを続け今日に至るとのこと。

St. Peter und Paul 教会から行進を見下ろす

聖ウィリブロルドと起源の伝説

聖ウィリブロルドは658年にイングランドのノーサンブリアで生まれたイングランドの伝道者。アイルランドに渡ったあとユトレヒトの初代司教になり、オランダ各地を伝道して回り、698年にエヒタナハにやってきて修道院を建立したのは前述のとおり。舞踏病やけいれんに苦しむ患者を治した奇跡で列聖されたため死後もその偉業をたたえて巡礼が各地から絶え間なくやってきたようです。
踊りの行進の起源にまつわる伝説にももちろん聖ウィリブロイドが登場します。8世紀初頭エヒタナハに住んでいたヴェイトVeit(またはのっぽのガイGuy)という若者が妻と巡礼の旅に出ます。10年後、旅の途中で妻を亡くしたヴェイトが不思議なヴァイオリンを一つ抱えただけの姿で一人で帰ってきた時には親戚は彼の資産をすべて掠め取っていました。財産を返したくない親戚たちは旅行中に妻を殺したという濡れ衣をヴェイトに着せます。絞首台に登らされたヴェイトが最後にせめて一曲弾かせてくれと旅から持ち帰ったヴァイオリンを取り出して広場に集まった観衆に向けて演奏すると、その曲があまりにも楽しく町中の人々が一人残らず踊りだし、その隙にヴェイトは逃げ出してしまいます。町中の人々は聖ウィリブロルドがやってきて呪いを解くまで踊りを止めることができなかった、というのが踊りの行進の起源にまつわる伝説です。
ヴェイトというのはまた別の聖人、聖ヴィトウスSt. Veit と同じ名前で、彼の名前を冠した病気 St. Veit’s Dance は舞踏病のこと。また聖ヴィトウスはダンサーの聖人でもあり、ドイツの一部地域では聖ヴィトウスの像の回りで踊る風習があるのだとか。エヒタナハで舞踏病やてんかん患者を治す奇跡を見せた聖ウィリブロルドが聖ヴィトウスと混同され、不思議な伝説を生み出したのかも?と中世のヨーロッパの伝承に雑な思いを馳せてしまいますよね。

当日のルートとタイムスケジュール

町中を踊って一周した人々は最後にバジリカに次々に入っていきます。バジリカの地下墓地に眠る聖ウィリブロルドに祈りを捧げて行進は終わります。地下墓地には1031年に建てられたロマネスク様式の土台やフレスコの一部が残っていますが、他の部分はフランス革命で荒らされ、修道院に収蔵されていた金のインクで書かれたアンリ3世の福音書などの宝物も散逸してしまったとのこと。その後の1868年に町の人々の尽力によって再建され再び聖遺骸が戻されるのですが、第2次世界大戦のバジル戦でエヒタナハは南部の最前線となってしまいバジリカも大破。戦後元のロマネスク様式を再現したのが今の形だそう。もちろん踊りの行進の日は一般の見物客が中に入ることはできません。

2022年は6月7日に行われるこの踊りの行進、朝5時過ぎに巡礼が町に到着、礼拝を終えた後シュール川にかかる橋までドイツからの巡礼を迎えにいき8時半に最初のグループが行進開始。午後3時頃にルクセンブルク大司教オレリッシュ枢機卿をはじめとした司教様たちが祈りを捧げながらしんがりを務めて終わります。詳しいスケジュールはこちらを参照してください(仏語)。

しんがりはオレリッシュ枢機卿


2019年に見物した時は修道院Abbeyの中庭にグループが待機していて出発の順番を待っていて、Rue du Pontを通って町中を行進していました。細いごちゃごちゃした路地で見物しても間近で見ることができて楽しいし、広場で待っていて次々とやってくる行進をゆったり眺めるのもいいし、ゴールのバジリカで疲れ切った皆さんを激励するのも面白かったです。高台になってるSt. Peter und Paul 教会から見下ろしてみるのもまた一興。高齢者や身障者の皆さんのために椅子が設けられている場所もあり。

座って行進を見物する人々

ルクセンブルク市の Kirchberg Luxexpo のバス停からエヒタナハ Echternach, Gare Centre 行のバス109番、110番が出ています。市中心部からの所要時間は1時間ちょっと。2019年にはバスも混んでなくて見物もしやすかったですが、今年は3年ぶりなので人出がすごいかもしれません。それでもこの見物客より参加者の方が多いお祭りは一見の価値あり。今年も天気になりますように……。



行進のグループがすべて出払ったあとのアビー中庭。みなさんお疲れ様でした。

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